EBPM
事例編#02|2026年版オランダEBPM——なぜエビデンスは政策判断で無視されるのか
このエピソードの概要
法律、評価計画、データ基盤、世界トップクラスの独立研究機関。制度は整い、データもあり、評価も行われている——それでも、実際の政策判断では使われない。事例編第2回は、2026年版のオランダEBPMを題材に、「エビデンスを作る仕組み」と「リーダーがそれを使う仕組み」の間にある深い溝の正体を解き明かします。
オランダは、中央がルールを定めつつ評価とデータ収集を各省庁のネットワークに分散させる「ネットワーク型中央モデル」を採用。財務法第3.1条(CW 3.1)は、新政策の予算要求に目的・手段・費用対効果・評価計画の事前提出を法律で義務付け、予算の正当化を「支出の説明」から「効果と効率の説明」へ転換させた画期的な制度です。
ところが2026年の会計検査院報告によれば、400件を超える評価が並行して走っているのに、国会審議など実際の意思決定で活用されることは限定的。CW 3.1の遵守率は2022年の56%から2023年には41%へ低下しています。優秀な供給側に対して、大臣や議会というトップの「需要」が欠けている——「供給過多で需要不足」と「Tone at the Topの欠如」が最大のボトルネックです。
後半では、利用者の約半分が補助金なしでも受講していた学習補助金STAPの「デッドウェイトロス」と制度終了、厳密なRCTが現実のノイズに崩れたユトレヒト市、厳密な証明より組織学習を優先して成功したアムステルダム市の子どもの肥満対策を対比。児童手当アルゴリズムのスキャンダルを経たAIガバナンス(IAMA)と「EBPMが免罪符になる危険」にも踏み込み、「完璧な評価システムは、一体誰が評価するのか」という問いで締めくくります。
文字起こし
出演:EBPM新聞記者・ヴェレ、EBPM新聞記者・シン
完璧なダッシュボードは、なぜ会議で無視されるのか
ヴェレ 想像してみてください。あなたの組織が、ものすごい予算と時間をかけて、二度と間違った意思決定をしないための完璧なデータダッシュボードを導入したとします。入力ルールは厳格で、グラフも綺麗。あらゆる予測が瞬時に吐き出される、まさに完璧なシステムです。なのに、いざ重要なプロジェクトを決める会議になると、トップのリーダーたちはその画面をちらっと一瞥しただけで、結局は自分の勘や過去の経験だけで数億円の予算を決めてしまう——こういう腹立たしい光景、どこかで見覚えがありませんか。
シン 組織で働いている人なら、誰もが一度は直面するジレンマですね。データやエビデンスを集める完璧な仕組みを作ることと、リーダーがそれを実際に使うことの間には、とてつもなく深い溝があるのです。
ヴェレ 今日扱うのは、まさにその溝の正体です。参照するのは、2026年現在のオランダにおけるEBPM——証拠に基づく政策立案の、最新のインフラと事例を網羅した詳細なレポートです。
シン オランダは本当に、国を挙げてこの完璧なシステムを構築しようと奮闘してきましたからね。
ヴェレ 今回のミッションは、法律やデータ基盤をどれほど完璧に整えても、なぜ政治家やリーダーたちはそれを意思決定で使おうとしないのか、その謎を解き明かすことです。お堅い行政の話ではなく、あなたの仕事にも直結するスリリングなテーマです。
ネットワーク型中央モデル——オランダの制度設計
シン まず前提として、そもそもオランダがどのようにエビデンスを政策の土台に据えようとしているのか、その制度の骨組みから始めましょう。
ヴェレ レポートを読むと、オランダは英国のように強力な中央集権型の評価ハブがすべてを取り仕切るわけでもなく、かといって、デンマークのように一枚岩の巨大な国家データレジスターを作っているわけでもないんですよね。
シン ええ。両者のハイブリッドというべき「ネットワーク型中央モデル」を採用しています。中央がルールを定めつつ、実際の評価やデータ収集は、各省庁や現場のネットワークに分散させているのです。その中核となっているのが、2016年の財務法第3.1条、通称「CW 3.1」というルールです。
CW 3.1——「完璧な家計簿アプリ」としての財務法
ヴェレ このCW 3.1、中身を見ると相当厳しい縛りですよね。新しい政策を提案して予算をもらおうとするなら、何が目的なのか、どんな手段を使うのか、費用対効果はどう見積もっているのか、さらに、実行後にどうやって効果を測定するのかという「評価計画」まで、すべて事前に提出しなければならない。
シン まさに、法律でそこまで義務付けられているのです。加えて、各省庁の予算そのものに、4年間単位の評価計画——「戦略的評価アジェンダ(SEA)」が最初から埋め込まれています。現場の政策担当者たちは、「政策コンパス」と呼ばれる標準化されたプロセスに沿って、そもそも社会の何が問題なのか、どの選択肢が最適かを、順番に言語化していく構造になっています。
ヴェレ 身近なものに例えるなら、ものすごく入力項目が多い、完璧な「家計簿アプリ」のようですね。何を買うか、いくらかかるか、本当に必要かを事前に全部入力しないと、そもそも予算というお小遣いが引き出せない。
シン わかりやすい例えです。予算の正当化を、単なる「支出の説明」から「効果と効率の説明」へとシフトさせた、本当に画期的な制度なのです。
ヴェレ ただ、スマートフォンに立派な家計簿アプリをインストールしたからといって、自動的に衝動買いがなくなるわけではないですよね。
シン 確かに。アプリがあることと、人間が合理的な行動をとることは、別問題ですから。
不都合な真実——400件の評価と41%の遵守率
ヴェレ でも、鋭い疑問を投げかけさせてもらうと、法律で義務付けられているなら、全員がエビデンスに基づいた完璧な政策を作っているはずではないですか。
シン そう思いたいところですが、ここで2026年の最新データが示す、不都合な真実を見ていく必要があります。2026年の会計検査院の報告によると、各省庁で400件を超える評価やモニターが並行して走っています。ところが、それが国会審議などの実際の意思決定の場で活用されることは、非常に限定的だと指摘されているのです。
ヴェレ 400件もデータを集めているのに、肝心の議論ではスルーされているのですか。
シン はい。2025年の政府政策科学会議のレポートでも、「オランダには豊かな知識のエコシステムがあるのに、政策担当者はそれを使いこなせていない」と厳しく指摘されています。
ヴェレ さらに衝撃的なデータがあります。先ほどの家計簿アプリ——CW 3.1の入力ルールの「遵守率」ですが、2022年には56%だったのが、2023年にはなんと41%にまで低下しています。
シン 制度があるのに、半分以上の人がまともに入力していない状態になっているのです。
ヴェレ つまり、サボり始めているわけですよね。これは耳が痛い話かもしれません。会社で、誰も見ない立派なダッシュボードや月次レポートを、毎月徹夜で作らされた経験はありませんか。
供給過多で需要不足——Tone at the Topの欠如
シン まさにその構図と同じです。オランダにはCPBやSCPといった世界トップクラスの独立研究機関が多数存在していて、供給側の組織は優秀で、素晴らしいエビデンスを出しています。
ヴェレ データを作る側は、完璧な仕事をしていると。
シン ええ。でも、そのデータを受け取る需要側——つまり大臣や局長級、あるいは議会といったトップのリーダーたちが、エビデンスを自ら要求して議論の争点に変換していくプロセスが、すっぽり抜け落ちているのです。
ヴェレ 「Tone at the Top(トーン・アット・ザ・トップ)」の欠如、ですね。いくら現場がデータを作っても、トップに需要がなければ意味がない。モチベーションも下がって、入力ルールも無視されるようになるわけです。
シン その通りです。「供給過多で需要不足」。これが現在の最大のボトルネックです。
STAPプログラム——デッドウェイトロスと「正しい終了」
ヴェレ トップ層がエビデンスを活用しきれない一方で、現場の政策評価はどう行われているのか。ここからが本当に面白いところですが、純粋な科学実験を現実の社会でやろうとすることがいかに難しいか、事例を見ていきましょう。
シン はい。国レベルの事例として、学習補助金の「STAPプログラム」がありました。2022年から2024年に実施されたものです。厳密な分析をした結果、補助金を利用した人の約50%が、実は補助金がなくても自腹で受講していたことが判明したのです。これを専門用語で「デッドウェイトロス(死荷重)」と呼びます。
ヴェレ 税金を投入したのに、半分は意味がなかった。
シン はい。でも、このエビデンスに基づいて、最終的に制度は修正されて終了しました。これは、評価が正しく機能した例と言えます。
ヴェレ 痛みを伴う結果ですが、ダメな政策を終わらせるという意味では素晴らしいですね。
ユトレヒトとアムステルダム——厳密さか、組織学習か
ヴェレ 一方で、自治体レベルの事例として、ユトレヒト市の労働市場の実験もありましたよね。
シン はい。「何が機能するかを知る」というプロジェクトです。ここでは、非常に厳密にコントロールされたRCT——ランダム化比較試験をやろうとしました。医療の臨床試験のような厳密な実験です。
ヴェレ 完璧な実験に思えますが、なぜ挫折したのでしょうか。
シン 現実の社会は、無菌室ではないからです。途中で参加者が離脱したり、別の支援を希望する人が出たりして、ランダムなグループ分けが崩れてしまいました。結局、この結果は他の状況でも当てはまるのか——つまり「外的妥当性」が制約されてしまったと、監査機関に指摘されています。
ヴェレ 現実のノイズに負けてしまったわけですね。これと対照的なのが、アムステルダム市の事例です。
シン ええ。アムステルダム市の、子どもの肥満対策です。彼らは、肥満の問題は貧困や住環境など、すべてが絡み合っている「複雑な問題」だと捉えました。だから、全市的な「ホール・システムズ(Whole Systems)」の複雑な介入を行ったのです。
ヴェレ でも、あちこち同時に手を入れたら、どの施策のおかげで体重が減ったのかという因果関係が証明できなくなりませんか。
シン まさにそこです。厳密な因果関係の証明は難しいのですが、彼らはロジックモデルを作り、継続的なモニタリングをしながら微修正を繰り返しました。厳密な証明よりも、組織全体が学び続ける「組織学習」を優先したことで、大きな成果を収めているのです。
ヴェレ つまり、無菌室で完璧なダイエット実験をしようとして挫折したユトレヒトと、効果測定は難しくても生活習慣全体を少しずつ変えていったアムステルダム、という対比ですね。
AIとアルゴリズム・ガバナンス——EBPMが免罪符になる危険
ヴェレ ただ、人間の行動がそこまで複雑で評価が難しいなら、いっそAIに評価を任せてしまおうと考えるのが自然な流れですよね。
シン そこがまさに、新たな最前線です。2026年のオランダでは、「AIとアルゴリズムのガバナンス」という新たな複雑さがEBPMに組み込まれています。背景には、過去の政策失敗が大きく影響しています。児童手当などのアルゴリズムが、特定の背景を持つ人々を不当に差別してしまったという大スキャンダルがあったのです。その反省から、データ倫理や説明責任への感度が劇的に高まりました。
ヴェレ それで2024年に政府横断の生成AIビジョンが公表されて、2026年にはアルゴリズムのインパクトアセスメント「IAMA」が、EUのAI法に合わせて更新されたわけですね。ただ、ここで気になったのですが——アルゴリズムを登録する制度はあるし、事前の評価もする。でも、その後の監視がないなら、それはただの電子版の免状というか、言い訳のためのバッジではないですか。EBPMが、AIのブラックボックスを隠すための免罪符になってしまいませんか。
シン その懸念は、完全に的を射ています。データ保護局なども、まさにそこを警告しているのです。政府のアルゴリズム登録簿は改善が必要で、運用が始まった後のモニタリングや更新、議会への説明が不十分だと。事前のアセスメントだけ行って運用後のモニタリングを制度化しなければ、EBPMはむしろ説明責任を弱めてしまう危険性があります。だからこそ、データサイエンティストだけでなく、倫理や法務の知識も横断できる知識仲介人材——「データと人間の間を取り持つ翻訳者」が必要だと結論づけられています。
ヴェレ 現場の言葉に翻訳するスキルを持った人たちですね。
まとめ——リーダーが証拠を要求する仕組み
ヴェレ では、これらはすべて何を意味しているのでしょうか。オランダの事例から私たちが学べることとは。
シン オランダの試行錯誤から学べるのは、高度なデータ基盤を作ること自体はゴールではない、ということです。本当に大切なのは、評価を予算や政策形成のルールにしっかり編み込むこと。そして何より、リーダーが自ら証拠を要求する仕組みを作ることです。
ヴェレ 明日職場に行ったら、ぜひ確認してみてほしいのです。自分の組織が、完璧なシステムを作ることばかりに注力していないか。そして、そのデータを使う「需要」や、現場の言葉に翻訳するスキルが組織にあるかどうかを。
シン 結局、システムを使うのは人間ですからね。
最後の問い——評価システムは、誰が評価するのか
ヴェレ では最後に、この深掘りから一つの挑発的な問いを投げかけたいと思います。もし、私たちが政策やビジネスを評価するための完璧なシステムを構築できたとしても、人間のリーダーが自分の政治的立場やプライドを守るためにそのデータを無視し続けるのだとしたら——私たちはただ、「合理的な意思決定をしている」という幻想を自動化しているだけなのでしょうか。だとしたら、その巨大な評価システム自体は、一体誰が評価するべきなのでしょうね。
シン うーん、考えさせられますね。
ヴェレ 深い余韻を残しつつ、今回の徹底解説はこの辺りにしたいと思います。お付き合いいただき、ありがとうございました。
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