EBPM
事例編#06|2026年版EBPM国際比較——世界の政策評価はどこまで進んだか
このエピソードの概要
あなたの街の自治体が「新しい教育プログラムに15億円を投じます」と発表したら、それが無駄遣いでないと、どうやって確認できるでしょうか。事例編第6回は、2026年版のEBPM国際比較レポートをもとに、日本・英国・米国・カナダ・オーストラリア・EUの政策評価を横断比較。「政府は本当にデータで政策を決めているのか、それとも『やってる感』を出しているだけなのか」という問いに迫ります。
前提として、EBPMは社会の問題を自動で切り刻む「全自動の包丁」ではなく、課題を正確に測る「秤」であり、歪みを可視化する「まな板」。最終的にどう調理するかを決めるのは政治の役割です(Evidence-informed)。その上で、評価タスクフォースを内閣府と財務省の間に置き、RCTで4か月分の言語能力向上を実証した幼児教育プログラムNELIに即座に900万ポンドを投じた英国の「予算連動」、エビデンス法で学習アジェンダを義務化し、社会保障局が手紙の文面を現場実験して約7,000件の受給者増を実現した米国の「法的義務化」を解説します。
さらに、匿名化データを安全な「個室」で分析するカナダのRDCとオーストラリアのPLIDA、倫理審査プロセスを持つ機関が21%という自己点検の現実、EUの世界最高水準の事前評価が政治交渉で「変質」する落とし穴も紹介。
日本は概念普及の第1段階をほぼ終えた一方、「制度化の浅さ」と「予算との非連動」が弱点——綺麗なロジックモデルを書くこと自体が目的化する「ダイエット記録ノート」状態です。処方箋としての法的義務化+データ基盤+予算連動の合わせ技、そしてAIが政策評価を担う時代の「データと決断の主導権」という問いで締めくくります。
文字起こし
出演:EBPM新聞記者・ヴェレ、EBPM新聞記者・シン
15億円の教育プログラム、「無駄遣いではない」とどう確認するか
シン もし、あなたの住む街の自治体がある日突然、「新しい教育プログラムに15億円を投じます」と発表したとしたら——あなたはどうやって、それがドブに捨てるような無駄遣いではないと確認できるでしょうか。
ヴェレ 選挙の公約だから、あるいは過去からの慣例だから、という理由だけで巨額の予算が動くことは、残念ながら珍しくないんですよね。
シン そうなんです。私たちが期待するのは、橋を架けるときの緻密な設計図のような、完璧なデータに基づいた計算式じゃないですか。でも実際に政府の政策決定の舞台裏に足を踏み入れてみると、そこは驚くほど泥水のように濁っていたりする。今回のミッションは、まさに世界中の政府の「ダイエット記録ノート」を覗き見することです。読み解いていくソース資料は、2026年時点の「EBPM国際比較レポート」。
ヴェレ 非常に分厚くて、読み応えのあるレポートですね。
シン 日本、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、それにEU諸国。世界各国の中央政府資料やOECD文書を徹底的に比較分析したものです。ここで解き明かしたい最大の問いは——「政府は本当にデータを使って賢く政策を決めているのか、それとも単に『やってる感』を出しているだけなのか」。これに尽きます。
EBPMは「全自動の包丁」ではない——まな板と秤
ヴェレ その泥水を濾過していく前に、大前提として、「EBPM」という言葉にまとわりつく誤解を剥がしておきたいのです。データやAIが自動的に「これが正解です」と政策を決めてくれる魔法のシステムだと思われがちですが——
シン 分かります。データをパソコンに入力したら一番効率の良い政策がポンと出てきて、政治家はただ判子を押すだけ、みたいなイメージですよね。
ヴェレ 実態はまったく異なります。政策は、純粋な「科学」ではありません。限られた予算の奪い合いや、「誰を優先して救うのか」といった価値判断が、現場では必ず絡んできます。科学が政治を乗っ取って自動操縦するわけではないのです。だからこのレポートでも、厳密には「エビデンス・インフォームド(Evidence-informed)」——エビデンスをしっかり参考にした上で政策を作るべきだ、という立ち位置が強く強調されています。
シン 資料にあった秀逸な比喩を借りて整理すると、こういうことですよね。EBPMは、社会の複雑な問題を勝手にスパスパと切り刻んで解決してくれる「全自動の包丁」ではない。今ある課題を正確に測る「秤」であり、政策のどこに歪みがあるのかを可視化するための「まな板」なんだと。まな板の上にどんな食材が載っていて、重さがどれくらいかを正確に把握する。でも、最終的にどう調理するかを決めるのは、やはり「政治の役割」だと。
ヴェレ まさにその通りです。そのまな板と秤を、国という巨大な組織の意思決定プロセスにどう組み込んでいくか。それが今回のレポートの核心です。
英国——評価と予算の「神経系」
シン では、さっそく世界基準でそのまな板の使い方を見ていきましょう。まずはトップランナーとして挙げられている英国です。彼らは、このまな板を国のシステムのど真ん中に据え付けているようですね。
ヴェレ 英国は、評価文化が最も制度化された国と言っていいと思います。一番特徴的なのは、評価を専門に行う合同ユニット「エバリュエーション・タスクフォース(Evaluation Task Force)」を、内閣府と財務省の間に物理的に設置している点です。つまり、外側から「この政策は効果がありませんでしたよ」と美しい報告書を出すだけでなく、国家の心臓部である「予算支出の決定」に、その評価を直接食い込ませているのです。
シン 効果がないと分かった政策は、ただ反省するだけでなく、予算の蛇口をキュッと閉められてしまう。でも、それが現場で実際にどう機能しているのですか。
ヴェレ いい質問です。幼児期の言語介入プログラムで「NELI(ネリ)——Nuffield Early Language Intervention」というものがあり、これがそのプロセスを鮮やかに示しています。このプログラムの効果を測るために、因果推論のレベルが非常に高い「ランダム化比較試験」という手法が使われました。
シン ランダム化ですか。理科の実験のように聞こえますが、どうしてそこまで重要なのですか。
ヴェレ プログラムを受けた子供が成長したからといって、それが本当にプログラムのおかげなのか、その子がもともと優秀だったからなのか、あるいは教育熱心な親のおかげなのか——結果だけを見ても区別がつきませんよね。そこで、プログラムを提供する対象を「くじ引き」のように完全にランダムに分けるのです。そうすることで、人間の意図や家庭環境といったバイアスを排除して、純粋なプログラムの効果だけを抽出できます。
シン 優秀な子だけを集めて「ほら、効果がありました」と見せかけるようなズルができない仕組みになっているんですね。
ヴェレ その通りです。その結果、プログラムを受けた子供たちは、受けていない子供たちに比べて、平均して「4か月分」もの言語能力の向上が見られました。そして、この強固なデータが示された瞬間、政府は即座に900万ポンド——日本円で約17億円の予算を投じて、これを全国に拡大したのです。
シン データが出た瞬間に、そこまで一気に動くんですか。まな板の上で「これは極上の食材だ」と証明されたから、即座にフルコースの予算をつけたわけですね。
ヴェレ まさにそのスピード感です。評価部門と予算の「神経系」が、見事に連動している証拠です。
なぜ英国モデルはコピーできないのか——米国の「法的義務化」
シン でも、ちょっと待ってください。英国のこの予算連動がそんなにうまくいくなら、なぜ世界中の国がそのままコピーしないのですか。
ヴェレ それが、不可能なんですよ。英国のシステムは、あの国特有の不文律の政治規範や、財務省が持つ特有の強大な権力に大きく依存しているからです。そうした暗黙の了解が通じない、もっと政治的に分断された環境の国では、まったく違うアプローチが必要になります。それが、もう一つのトップランナーであるアメリカです。彼らは「法律」というガチガチの骨組みを作りました。「エビデンス・アクト(証拠に基づく政策立案基礎法)」という法律を制定し、各行政機関に「学習アジェンダ」や「評価計画」を作ることを法的に義務づけたのです。
シン 義務化してしまうんですね。ということは、現場の役所も強制的に検証をやらされる。例えばどんな感じで?
ヴェレ 例えば、社会保障局(SSA)の事例です。受給資格があるのに申請していない人たちに手紙を送る際、「どんな文面や封筒なら一番反応が良いか」を、現場でランダム化して実験したのです。その結果、推計で約7,000件も受給者を増やすことに成功しています。特別な研究機関に依頼したのではなく、自分たちの日常業務を改善するためのツールとして、法律を後ろ盾に現場が実験を行っているのです。
法律の限界——政権交代と「現場の実行力」
シン 英国は予算の蛇口を握り、アメリカは法律で縛り上げた。これは、アメリカのやり方のほうがシステムとしては堅牢に見えます。強力な法的基盤があれば、どんな国にとっても最強の解決策なのではないですか。
ヴェレ そこが、EBPMの本当に難しいところです。レポートでも厳しく指摘されていますが、アメリカのシステムにも明確な弱点があります。「政治の波」——政権交代による影響です。法律で箱(枠組み)は作れても、トップの考え方がガラッと変われば、評価の優先順位は大きく揺らいでしまう。さらに、連邦政府レベルで法律が整備されていても、実際に動かすのは各州の現場です。州ごとのリソースやスキルの差が、そのまま結果の差に直結してしまう脆さがあります。
シン どれだけ立派な法律の設計図があっても、それを運用する現場の能力や、政治という現実の足元には、常に薄氷を踏むような脆さがあるわけですね。
カナダとオーストラリア——安全なデータ分析の「個室」
シン では、その薄氷を分厚くしていくにはどうすればいいのか。アメリカの抱える「現場の運用能力」という課題を踏まえると、カナダやオーストラリアの方向性が見えてきますよね。
ヴェレ 彼らは、法律やスローガンだけでなく、それを支える「データ基盤」——このインフラ作りに猛烈に投資しています。エビデンスを作るにはデータが不可欠ですが、政府が持つデータは、個人の健康状態や所得といった、究極のプライバシー情報の塊です。
シン 「データを活用しろ」と言われても、「私の個人情報を全部筒抜けにするのか」と言われたら、当然抵抗がありますよね。そこはどうクリアしているのですか。
ヴェレ そこで出てくるのが、カナダの「RDC(Research Data Centres:研究データセンター)」や、オーストラリアの「PLIDA(Person-Level Integrated Data Asset:個人レベル統合データ資産)」といったシステムです。これらは単なるデータベースではなく、いわば「高度に安全なデータ分析の個室」のような仕組みです。研究者はその部屋にアクセスして分析ができますが、データは完全に匿名化されていて、個人の名前は絶対に見えません。さらに、外に持ち出せるのは「Aという傾向がある」といった分析結果だけで、生データは一歩も外に出せない仕組みになっています。
シン プライバシーを厳重な金庫に守りながら、中の「データの傾向」だけを抽出できる専用のインフラを作ったのですね。
ヴェレ その通りです。このインフラのおかげで、カナダではCOVID-19ワクチンの透明性に関するメッセージをどう伝えれば接種意向が高まるかを検証し、意向を13%向上させました。オーストラリアでも、抗菌薬の過剰処方を減らすための手紙のアプローチを検証して、処方量を12%減少させています。
データはあっても、人とルールが追いつかない
シン 身近なところでしっかり成果が出ているんですね。ただ、オーストラリアに関しては、レポートの中で自己点検のかなり厳しい数字も突きつけられていましたよね。
ヴェレ ええ。実は政府横断の調査で、データを扱うための「倫理審査のプロセス」をきちんと持っている機関が、全体の21%に留まっていたのです。オーストラリアは、過去に政府内の評価部門が縮小されて能力が低下した時期がありました。一度失われた組織の実行力や、データを正しく扱うためのルール作りを再構築するのは、気が遠くなるほど難しい作業だという現実を示しています。「データ」という強力なツールを手に入れたのに、それを運転する人間のスキルやルールが追いついていないのです。
シン それは、高性能な最新AIシステムを導入したのに現場が使いこなせていない、現代のテクノロジー企業が直面しているジレンマとまったく同じ構造じゃないですか。
ヴェレ まったく同感です。カナダもアルゴリズム影響評価——いわば「AI影響評価(AIA)」を進めていますが、テクノロジーばかりが先行している印象も受けます。
シン AIが過去の膨大なデータから瞬時に政策の効果を予測してくれるようになる一方で、「そのAIが出した結果が正しいかどうかを、誰がどうやって監査するのか」という問題ですね。
ヴェレ ええ。政府自身も、テクノロジーの進化に対して人間側の文化変容が追いついていないことを、最大の課題として認識しています。
EU——世界最高水準の事前評価と、「政治交渉」という落とし穴
シン あと、EUの動きも気になります。「ベター・レギュレーション(Better Regulation:より良い規制)」という仕組みで、法案を作る前の「事前評価」を徹底しているとありました。これはかなり進んでいるのではないですか。
ヴェレ 確かに、EUの事前評価の仕組みは世界トップレベルです。ドイツの労働市場における「準実験」を使った検証の強さや、フランスの独立委員会による外部評価など、個別の分野では素晴らしい成果を上げています。しかし、そこには無視できない政治的な落とし穴があります。官僚たちがどれほど完璧なデータとエビデンスを揃えて美しい法案を設計しても、それが欧州議会にかけられ、各国の思惑が絡み合う「政治的な交渉過程」を経るうちに——内容がまったく別のものに変質してしまうのです。
シン 設計図の段階では完璧だったのに、完成した建物は全然別物になっていた、という状態ですね。最初のまな板の上では正確に測ったのに、調理の途中でいろんな人が勝手に調味料をドバドバ足してしまった、みたいな。
ヴェレ まさにその例えの通りです。そうなると、政策が実行された後に「事後評価」を行わなければなりません。でも、一度走り出した政策を止めて検証するのは、どの国にとっても最後にして最大の難関になっているのです。
日本の現在地——「ダイエット記録ノート」と行政作文
シン 世界中の泥臭い戦いが見えてきました。さて、いよいよ私たちの足元、日本の現在地を探っていきましょう。2026年時点の日本は、このレポートでどう評価されているのでしょうか。
ヴェレ 誤解のないように言えば、日本は決して何もしていない、立ち止まっているわけではありません。2026年1月には「EBPM推進委員会」が立ち上がりましたし、経済産業省などでは大規模な事業検証のシステムがすでに動いています。EBPMという概念を普及させる「第1段階のフェーズ」は、ほぼ完了しつつあると評価されています。
シン 言葉や概念は浸透した。でも、そこから先が問題なんですよね。レポートは日本の最大の弱点として、「制度化の浅さ」と「データ提供のインセンティブの欠如」を容赦なく指摘しています。各省庁が自分のデータを抱え込んで外に出さないし、何より、評価をした結果が実際の予算や政策の修正にまったく連動していない。
ヴェレ その通りです。先ほど英国がやっていた「予算の蛇口を閉める」という機能が、日本ではまったく働いていないのです。
シン これは身近な例に置き換えると分かりやすいと思うんです。日本政府は今、すごく丁寧な「ダイエット記録ノート」を作っている状態ですよね。ロジックモデルという立派な表を作って、カロリーや体重を毎日色ペンで綺麗に記録している。でも、肝心の食生活——実際の予算の配分は昨日とまったく同じまま。ノートを綺麗に書くこと自体が目的になってしまっていて、それはただの「私はダイエットやってますよ」というアリバイ作りに過ぎないのではないかと。
ヴェレ 非常に痛いところを突く例えですが、まさにその通りです。「行政作文」になってしまっているんですね。綺麗なノートを書いて満足している状態から、実際の「行動変容」へと移行しなければなりません。
日本への処方箋——3つのオプションと「合わせ技」
ヴェレ そのために、レポートでは日本に向けて3つのオプションが提示されています。オプションAは「評価計画の公開を義務づけ、共通のガイドラインを拡充する」。オプションBは「日本版の証拠に基づく政策立案基礎法を制定し、法律で義務化する」。オプションCは「安全にデータを連結できる環境を作り、それを予算査定の条件にする」。この3つです。
シン どれか一つを選ぶとしたら、どれが一番効果的なのですか。日本なら、とりあえずガイドラインを作るオプションAを選びそうですが。
ヴェレ レポートの結論としては、単なるガイドラインの拡充であるAでは、これまでと同じように「書式を埋めるだけの形式対応」に陥るリスクが高い、としています。日本に必要なのは、アメリカのようなオプションBの「法的義務」を骨格として据え、その裏で、カナダや英国のようなオプションCの「安全なデータ基盤と予算への連動」を段階的に組み合わせていくこと。この骨太な合わせ技以外に、フェーズを移行する道はないと強調されています。
シン ガイドラインという新しいノートを買ってくるのではなく、法律というパーソナルトレーナーをつけて、毎日の食事(予算)と強制的に連動させる仕組みを作らないと、ダイエットは成功しないわけですね。
ヴェレ ええ。EBPMを持続可能なシステムにするためには、「法律」「データ基盤」「検証の手法」「人材」、そして「ルール」という5つの要素を、同時に引き上げていく必要があるのです。
総括——根拠によって「自らの行動を変えられるか」
シン ここまで、2026年のEBPMの現在地を見てきました。世界中の政府の取り組みから見えてきた最も重要なメッセージは、「データを集める仕組みが普及したかどうか」はもう過去の争点だった、ということですね。
ヴェレ ええ、フェーズは変わりました。
シン これからの真の勝負は、データで根拠を示すことに留まらず、その根拠によって、たとえ痛みを伴ってでも「自らの行動を変えられるかどうか」にあると。
ヴェレ おっしゃる通りです。評価を受け入れて修正する「柔軟性」こそが、最も重要だということです。
シン これを聞いているあなた——これは決して、遠い国の政府や霞が関だけの話ではありません。ビジネスで新しいプロジェクトを立ち上げるとき、チームの成果を評価するとき、一生懸命集めたそのデータは、自分が最初からやりたかったことを正当化するための「アリバイ」になっていませんか。データが「それは間違っている」と示したとき、自分たちの行動や予算配分を本気で変える覚悟があるでしょうか。それが、真のEBPM的思考です。
最後の問い——データと決断の「主導権」はどちらが握るのか
ヴェレ 非常に重い問いですね。そして、今回の深掘りを終えるに当たって、もう一つ、未来に向けて備えておくべき思考の種があります。「人間とAIの立場の逆転」です。現在、AIの導入スピードに対して、人間の監査能力がまったく追いついていません。近い将来、AIが膨大なデータを読み込んで、自動で政策の効果を予測・評価するようになるでしょう。そのとき私たちは、AIが導き出したエビデンスをどこまで信じればいいのか。AIは一見完璧に見えますが、データの中にある見えない要因——いわゆる「交絡(Confounding)」を勘違いして、「本当は関係ないのに、AをやればBが良くなる」と、誤った関連性を導き出すことがあるのです。
シン 本当はまったく別の理由で起きている現象を、政策のおかげだとAIが錯覚してしまうようなことですね。
ヴェレ そうです。そのとき、人間がAIの評価を厳しく監視し続けることができるのか。それとも、人間の作った政策をAIが評価して、人間はそれに従うだけの社会になるのか。データ駆動社会の次の主導権は、果たしてどちらが握るのでしょうか。
シン 冒頭でお話しした「まな板」の話——もしそのまな板自体がAIで作られていて、見えないところで勝手に歪みを補正してしまっているとしたら、私たちは本当の社会の姿を見失うかもしれませんね。
ヴェレ ええ、非常に恐ろしいシナリオです。ぜひ、あなた自身の仕事や生活の中でも、この「データと決断の主導権」について少しだけ考えてみてください。今回はここまでです。最後まで共に深掘りしていただき、ありがとうございました。
シン ありがとうございました。
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